かつては「シルク岡谷」として世界にその名が知られるほど全国でも随一のシルクの生産量を誇っていた長野県岡谷市。その岡谷市で、4代にわたって糀屋を営んでいる「若宮糀屋」は、地元でも有数の糀製造の専門店として知られています。
今回「若宮糀屋」で、将来的に製造を任せられるような方を新たに募集すると聞いて、製造責任者で4代目社長の花岡拡和(はなおかひろかず)さん、奥さまの花岡慶子(はなおかけいこ)さん、そして2022年3月より取締役として「若宮糀屋」に参画し、経営のアドバイスを行う近藤威志(こんどうたけし)さんの3人にお話を伺いました。
製糸業から糀づくりへの事業転換。リヤカー付き自転車で糀を届けた
周回約16km、長野県内でも最大の湖として知られる諏訪湖に面した岡谷市。今回伺った「若宮糀屋」は、その岡谷市で創業140年を迎える糀屋です。長野自動車道岡谷ICから車で10分ほど走らせると店舗が見えてきます。
明治から昭和初期にかけて、日本の製糸業の中心地となった岡谷市。各地から工場を動かすための女工(じょこう)さんがやってきては、住み込みで働いていた歴史があります。その、女工さんたちのまかないとしてご飯と一緒に出されたのがお味噌汁でした。「若宮糀屋」も、当初は養蚕業を営んでいたといいますが、製糸産業の縮小とともに、新たな事業として模索したのが味噌の原料となる糀の製造業だったのです。
拡和さん「それまでは養蚕業をやっていましたが、蚕糸産業の縮小に伴い、初代である曽祖父・花岡重蔵(はなおかじゅうぞう)が新しい事業を始めるべく、糀屋に修行に行き、糀蔵(こうじぐら)を立ち上げました。最初は製糸業に携わる女工さんたちの味噌づくりのための糀をつくっていましたが、次第に家庭で仕込まれる味噌のための糀を各家庭に販売するようになったといいます。祖父・花岡大蔵(はなおかだいぞう)は営業が上手だった人で、自転車の後ろにリヤカーをつけて何百枚もの糀を積んで売っていたと聞いています。」
拡和さん「現在は、糀の製造をメインで行うほか、甘酒と味噌を自社製造しています。味噌が占める割合が多かった時代もありましたが、時代の流れもあって、近年は創業当初のように糀をメインでつくるスタイルに戻ってきました。」
一口に糀といっても、甘酒や味噌などそれぞれに適した糀があり、使い分けます。それぞれに合う糀づくりを行うには、手間暇がかかるため、近年は同業者が糀の製造部分を外注する製造委託のスタイルが増えているそう。「若宮糀屋」は「こういう糀をつくってほしい」という他社からの細かなオーダーにも柔軟に対応することから、信頼を集めています。
4代目として「若宮糀屋」を継いだ拡和さんですが、最初から継ぐつもりだったわけではなかったそうです。
拡和さん「幼い頃からものづくりに興味があって次第に鉄などの金属加工が好きになり、美術の専門学校を出たあとは、建築の外装や内装をつくる仕事をしていました。そんなある日、父から連絡があり『鉄を加工できるような工房をつくるから戻ってこい』と言われて。結局いまだに工房もできてないんですけどね。味噌屋の息子は大抵こんなふうに継業するパターンが多いようです(笑)。」
助けあい、同じ方向を見て進む二人が築くパートナーシップ
製造担当をする拡和さんと一緒に「若宮糀屋」を営む奥さまの慶子さんは、営業や企画、経理などを担当しながら、経営に関わる業務全般を担っています。仕事も暮らしもパートナーであるお二人が出会った経緯を伺いました。
慶子さん「ある日テレビを観ていたら“婚活”特集をやっていたんです。結婚をしたい男女がWebサービスを使ってマッチングするという内容で、面白そうだなと思い、番組が終わった瞬間にサイトに登録しました。私は諏訪市の出身なので、結婚する人は実家から近い諏訪湖周辺に住む人がいいと思って探したらヒットして。」
実家はブティック業を営んでいたという慶子さん。糀づくりなどの伝統産業に対してもポジティブな印象を抱いていたといいます。また、学生時代にカナダへ留学した時に見たホストファミリーご夫婦の理想的なパートナーシップの形をみたことは、現在の慶子さんのパートナーシップの概念を構成するインスピレーションにつながっているといいます。
慶子さん「20歳の頃、カナダに短期留学したことがあるのですが、その時のホストファミリーご夫婦にものすごく影響を受けていて。毎日の炊事や洗濯、掃除。子育てなども、本当に力を合わせてやっているのを見て、将来私もこういう夫婦の関係性を築きたいと思うきっかけとなりました。なので、拡和さんと出会った当初も、生きる上での価値観などについてお互いに理解しようと、かなり質問しましたね。」
夫婦で助けあいながら、同じ方向を向いて進んでいくには、お互いの価値観を理解するのは非常に大事なこと。拡和さん・慶子さんは結婚されてからも、お二人にとって良いパートナーシップの在り方は何か、仕事や暮らしを共有しながら追求してきました。
慶子さん「私は製造というより、経営や事業のためにインプットが必要な時には『いろいろと見聞きしにいこうよ』と外に引っ張り出すような役回りが多いかもしれません。以前と比べると味噌や糀の消費も減少しています。お客さまが来てくれるようにと、商店街で催事をしたり、“甘酒焼き芋”のような新しいことを試したり。」
新しい企画をいろいろと発案しては、実行していた慶子さんでしたが、「若宮糀屋」の根幹となる事業は、糀の製造に関わる部分。働く人たちも日常の業務以外で動くことに対して意識が向けづらかったといいます。
慶子さん「新しいことをいろいろ提案しても、みんなの気持ちが乗らなければ発展させるのは難しく、実りも少ないです。やっぱり日々の製造を優先させるべきと考えて、一旦家業から距離をおこうかと考えた時期もありました。」
糀屋として個人として本当にやりたいことができる人生を追求したい
そんな矢先、知り合いの経営者から誘われて参加した懇親会で、その後の事業展開が左右されるような出会いがあったといいます。
慶子さん「そこで出会ったコンサルタントに家業のことを相談したら、ものすごい親身になっていろいろアドバイスしてくれて。それで『実は僕の知り合いにも、糀屋さんがいるんだよ』と紹介されたのが、なんと以前から私が会いにいきたいと思っていた糀屋さんだったんです。早速『ぜひ紹介してください。すぐ会いに行きます』とお願いし、翌日には電話をかけて、直接会いに行きました。」
視察に行った糀屋は製造の規模など「若宮糀屋」との共通点も多く、いろいろと意見交換をしたそう。その数日後、今度は視察先の糀屋の方から電話を受け、業務提携ができないかという依頼があったといいます。この時の出会いが、その後の製造請負の仕事につながり、現在のお得意先の一つとなっているのです。
会社の経営をしていく中では、山もあり谷もあり、必ずしも順風満帆とはいかない時期もあるかもしれません。持続的な仕事をつくりながら豊かな暮らしを成り立たせていくためには、利潤を追求することも大事ですが、自分や家族がどうしたらよりよく生きていけるかということも、きちんと考えていく必要があります。自分たちのやりたいことが本当にできているのか自問自答しながらも、なかなか周囲で相談できる方もおらず、悶々としていた時期もあったといいます。
慶子さん「じつは、お店の経営について、今後の方針を根幹から考えなければならないタイミングでした。目の前に現れた経営課題を場当たり的に乗り越えようとしても、根本的な解決にはならず、また同じようなことが起きてしまいます。それを繰り返すうちにそのまま人生が終わってくのかもしれないと考えたら、自分が本当にやりたいことができる人生を追求したいと思っていました。」
そんな矢先、ご自宅で“ちょっとした事件”があったといいます。
慶子さん「子どもがちょっといたずらをして、照明を壊してしまったんです。そんなこと、よくあることだし、普段だったら照明が壊れるぐらいでそこまでショックは受けないのですが、その時はあまりにもショックが大きくて、拡和さんもショックを受けていて。ここまでダメージが大きいということは『起こっている事柄を自分たちだけで処理ができるような状態ではないのかもしれない』『何か違う解決方法を探した方がいい』『そうじゃないといつかは家庭も壊れてしまうかもしれない』ということが一気に頭をよぎったんです。それで……。」
近藤さん「『近藤さん、どうしよう!』って連絡がきたのよね。(笑)」
連続起業家で自身も経営者でありながら、総務省の地域力創造アドバイザーなど、多くの顔を持ち全国を飛び回る近藤さんは、今春から取締役としてチームに参画し、経営の戦略アドバイスや新規事業開発を一緒になって動かしていく予定だといいます。実は、近藤さんと慶子さんは、知り合って20年以上になるとか。
近藤さん「20年ほど前、僕が学生の就職支援をするNPO法人を立ち上げた時に、支援をしていた学生の一人だったんです。慶子さんが結婚した時も、報告と合わせて味噌と甘酒を送ってくれたのを覚えています。」
慶子さん「こんたけさんがさまざまな事業を各地で展開しているように、私は私で人生の状況が刻々と変わるじゃないですか。その度に『今、こんな状況です』と数年に一回くらいの頻度でやりとりをしていました。なので、経営について本当に悩み、その問題がもはや自分たちだけでは解決できないものだと感じた時、頭をよぎったのがこんたけさんだったんです。」
長年の関係性があったからこそ、いざという時に近藤さんを頼った慶子さん。電話を受けた近藤さんも、経営相談に乗るために、すぐに「若宮糀屋」へ。3日間の滞在期間中、まずは経営の状況や、お二人の想いなどを把握するために、聞き取りをしていったといいます。
誰かの困っている課題は、他の誰かの価値に転換できる
近藤さん「これは経験則からくる直感ですが、彼らと話をする中で、今の会社や事業そのものにすごくポテンシャルがあるなと思ったんです。そしてこれまで二人三脚でやってきた経営に、僕が何かしらの形で関わることができたとしたら、それほど時間を掛けずにおふたりが目標としている状態を実現できるんじゃないかと思いました。そのためには、今ある体制を見直し、つくったものをきちんとお金に変えるための出口戦略と、増えていく需要に耐えられるような生産体制をつくっていく必要があります。さらに、事業の継続性をきちんとつくりつつ、彼ら家族や従業員さんを含めた会社に関わる人たちが個人として幸せな未来を描いていけるか、それを組織として思い描く未来とどれだけ重ね合わせていけるかというところにチャレンジしていかなければと思いました。」
全国各地で事業を展開してきた近藤さんが、どの地域でも相談される2大テーマとして挙げるのが「事業承継」と「空き家」。近藤さんが手掛ける「お米食べ放題付きシェアハウス」のプロジェクトは、耕作放棄地が増えて困っている地域の農家さんのニーズと空き家の利活用のニーズを、上手くかけ合わせて生まれたものです。
近藤さん「最初は耕作放棄地になった棚田があって困っている、農業は儲からないと相談されていたのですが、棚田3枚と空き家を借りてシェア棚田&シェア別荘を立ち上げたら、月1万円の会費を払ってくれる仲間が一気に30人ほど集まって。それからいろいろと田んぼや物件を引き受けるようになったら、今度はお米が余ってしまって。浅草で借りた別の空き家をお米食べ放題付きシェアハウスと紹介したら、大学生たちが住み始めるようになったんです。」
誰かが困っている課題も、視点を変えれば別の誰かにとっての価値に転換できることもあります。個々の事象として別々に扱われている課題を、新しい視点で転換をし、組み合わせることで思いもよらない発見や楽しさが生まれたり。そうして発生した企画やプロジェクトには、お金を払ってでもやりたいという人がたくさんいるということを、近藤さんは事業を通して実感されてきました。今回、「若宮糀屋」の経営に携わっていく中で、どのような事業を立ち上げていくのでしょう。
近藤さん「『若宮糀屋』の事業の核である糀づくりの部分をさらに強固にするとともに、その先を見据えた新たなチャレンジを始めてもいいんじゃないかなと思っているところです。まだ構想段階ですが、考えているのは産業観光のようなものと、ファンづくり。この2点を叶えるために、空き家を使った“体験型宿泊施設兼シェアハウス”を立ち上げようとしています。これによって家賃収入を得たり、そこに関係人口を呼び込むことで、繁忙期などのシーズンに作業を手伝ってくれたり、ファンになって最終的に商品を購入してくれたり。毎年来てくれるファミリーのような存在が増え、『若宮糀屋』の事業の核をまたさらに強めるような循環につながるのではないかと話しているところです。」
慶子さん「実は、近藤さんに相談する前から、ここでやっている私たちの製造は体験として絶対いいと思っていました。日頃当たり前にやっていることでも、見方が変われば資産になるようなことが、ゴロゴロとあるんです。旅行先のプチ体験のようにさらっとやる体験ではなく、その地域に住む誰かと関わり、意見を交わし合ったり。体験した人の感情が動かされて、自分自身がしっかりそこで生きたんだと感じられるような深さの体験を提供したいと思います。そうしてまた日常の生活に戻った時に、自分自身の生き方を見直すことのきっかけになったりすることに、個人的にすごく興味があります。」
いくつかの物件を候補としながら、新規事業の構想を進めていくそうですが、「若宮糀屋」のコアバリューを生み出しているのは、やはり現業の糀づくりのお仕事。製造責任者である拡和さんと一緒になって働きながら、将来的に製造を任せられるような人材を探す中で、糀づくりにおいて大事な資質を拡和さんに伺いました。
探求や創意工夫を楽しみ、自分たちの在りたい姿を一緒に模索できる人
拡和さん「できなくても、できないで済まさない人でしょうか。なぜできなかったのか追求する特性がある人かな。それから、微差を差だと思える人。生の糀は非常に繊細なので、神経質に扱わなければなりません。一つ一つのこだわりが積み重なって一つの状態を成しているので、温度管理や手順など、小さな手順の違いが大きな差を生みます。なので、小さな努力を積み重ねることが好きだったり、それを苦労と思わない人がいいと思います。」
「若宮糀屋」が築いてきたお客さまや得意先との信頼関係は、そうした質へのこだわりや日々の努力の積み重ねによって育まれてきました。「若宮糀屋」としての味や品質を保持していくだけでなく、拡和さんは改善や開発にも余念がありません。
拡和さん「甘酒焼き芋の開発の際も、『どこを省略できるか?』『どうすればもっとおいしくなるか』をスタッフと一緒に考えていました。例えば、芋は甘酒に浸すと硬くなってしまうので、焼いた後に塗るようにしたり、いろいろと試行錯誤して。」
試行錯誤の中で、もちろん失敗作ができてしまうこともあるといいますが、ここでも活かされるのは「できないと言わない」姿勢。むしろ、拡和さんにとって、努力することはつくり手としての醍醐味であって、失敗した時にこそどう進化させていくか。楽しみながら探求や工夫をし続けるために、失敗という概念もないといいます。
拡和さん「現在の『若宮糀屋』の甘酒は、もともとは糀の時間管理を間違えて偶然できてしまったものでしたが、実はその方が美味しい甘酒ができたんです。最初は失敗だと思ったことが成功につながることもあります。」
拡和さんのほか、3名のパート従業員も一緒に製造を担います。糀づくりの手順は全てマニュアル化されているので、経験は不問ですが、現状のやり方に妥協するのではなく、更なるクオリティの向上を一緒に目指せる人が望ましいとのこと。
最後にもう一つ付け加えたいのが、これまでインタビューをしてきて、「若宮糀屋」のみなさんの根底にある“どう在りたいか”という意識です。
慶子さん「仕事に自分の人生を合わせるのではなくて、“自分はどういきたいのか”、“自分たちはどう在りたいのか”がある人がいいと思います。私の場合でいえば、家族との時間を大切にしたいというのはもちろん、人と関わり合いながらみんなが楽しめるようなことに携わっていきたい。これから入っていただく方も、そうした“どうしていこうか”を一緒に模索していけるような仲間になってくれたらと考えています。」
働くことは、何の職業を選びとるかも重要ですが、本来その手前にあるのはそこで働く人の”どう生きていきたいか”。そうやって個人として描く未来と、「若宮糀屋」として描く未来の重なる部分が大きくなればなるほど、双方にとってより良い未来を描くことができるかもしれません。“こう在りたい”という姿が何となくでもあり、それを追求したい方。また、「若宮糀屋」が描く未来に、ワクワクする方。仲間となって、一緒に未来を描きませんか。
文 岩井美咲
※ 撮影のため、取材時はマスクを外していただきました。
募集要項
[ 会社名/屋号 ]
有限会社若宮糀屋
[ 募集職種 ]
(1)製造
(2)営業
[ 取り組んでほしい業務 ]
(1)製造責任者の右腕として、マニュアルに基づいて糀の製造を担いながら、さらに品質を高めていくための開発を共に担って頂きます。
(2)当社製品の営業をご担当頂きます。それぞれの方がお持ちのスキルに合わせて、県内・首都圏向け、イベント出展、販売店開拓など具体的なミッションを個別ご相談となります。
[ 雇用形態 ]
(1)正社員・業務委託・プロボノ
(2)業務委託・プロボノ
※それぞれの方のご希望によって柔軟に相談可能です
[ 給与 ]
月給:15万円〜20万円
※業務委託の場合は実働とミッションに合わせて要相談
※実績や経験により柔軟にご相談させていただきます
[ 勤務地 ]
長野県岡谷市大栄町2-10-12
[ 勤務時間 ]
9:00~17:30 (所定労働時間:7時間30分)
休憩時間:60分
[ 休日休暇 ]
土日祝日他 年末年始 夏季休暇 GW
[ 昇給・賞与・待遇・福利厚生 ]
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