すっきりと晴れて太陽の暖かさを感じつつも、一昨日に降った雪がまだ路面に残るくらいに冷える松本市。取材に備えて少しだけ早く集まった取材班が外で身を震わせながら待っていると、ほどなくして、本日のインタビュー相手となる、藤原印刷株式会社の藤原隆充(ふじはらたかみち)さんがいらっしゃいました。

「どうぞ」と案内されたのは、6年ほど前に建てられた新しい工場施設。大型の印刷機が忙しく稼働するのを横目に通り過ぎ、今日はその一角にある打ち合わせ室で取材をさせていただけるようです。真っ先に目に入った、最近つくられたという本棚には、クリエイターのみなさんが手がけた書籍や写真集などが並びます。色も形も多様で、興味をそそられるものばかり。もちろん、印刷は全て藤原印刷です。

藤原印刷の外観©︎藤原印刷

藤原印刷株式会社(以下、藤原印刷)は藤原さんの祖母であり元々タイプライターだった藤原輝さんが1955年に創業した印刷会社です。現在は、お母様の藤原愛子さんが代表取締役社長、長男である藤原さんは専務取締役、次男の章次(あきつぐ)さんは東京支店で営業担当として働いています。

実際に対面でお話を伺う前から、藤原印刷といえば、写真集やファッション誌など、新進気鋭のクリエイターたちとタッグを組みながら個性豊かな制作物を次々と手がける印刷会社というイメージがありました。さらに、藤原印刷のアイコン的存在になりつつある藤原兄弟。松本、東京と離れた地域でも連携をとりつつ、魅力的な企画を打ち出しながら、印刷行為そのものを捉え直し、印刷会社としての活動領域を広げ続けているおふたりです。

しかし、つい10年ほど前までは教科書や教育関係の専門書などを取り扱う出版社から依頼される印刷物が大半で、モノクロ印刷が主流。カラー印刷が必要となるクリエイターからの受注はほとんどなかったそう。

人材、事業、組織。この10年ほどの間には、一体どのような変化やドラマがあったのでしょうか。

印刷工場では大型の印刷機が絶え間なく稼働していた©︎藤原印刷

兄弟で入社し、試行錯誤の日々

実家は東京都国立市で、松本へは祖父母のところへ遊びにいく程度だったという藤原さん。いつかは会社を継ごうと考えてはいたものの、長年東京での暮らしを謳歌していた藤原さんは、松本市の本社で働くにあたり、なかなか決心がつかなかったといいます。最終的に決定打となったのは弟、章次さんの一言でした。

藤原さん「両親は『長男が入っていないのに、次男が入社っていうことはありえない』という考えで。弟はずっと新卒で親の会社へ入るつもりだったのに、兄は違う会社で働いていてなかなか入社できない。それから数年ほど経ったある日、『そろそろ兄貴が決断してくれないと、俺も入社できないからいいかげんにしてくれ』と弟に言われて。『はい、わかりました!』と(笑)。前職の会社にも、いつかは親の会社に入ると話していたので、弟が背中を押してくれて、最終的には自分で決めたという感じでした。」

2008年に藤原さんが入社すると、2010年に弟さんも入社。藤原さんのご両親はそれぞれ営業や経理上がりで、経営者に印刷を経験した人がいなかったことから、当時の印刷部長の勧めで印刷部に配属され、経験を積むことに。一方、営業経験があった弟さんは、東京営業部へ配属になりました。

前職で、兄弟で肩を並べて働いた経験があるという藤原さん。だからこそ入社前からお互いに補完的に動くことができるという確信があったそうです。

藤原さん「本当にタイプというかやり方が違って。僕はどちらかというと、周りを巻き込んでいくタイプで、弟は一度決めたら、ガーッと走っていくタイプ。お互い足りないところが補えるなと。」

入社後、二人の補完性はさらに強度を増していきます。異業種や他の組織とのタイアップ企画など、俯瞰的に事業を見ながらもどうしたらお互いに気持ちよく協働できるかを考える藤原さんと、印刷営業というジャンルをさらに極め続けている弟さん。現在も、それぞれの軸で藤原印刷の活動や可能性を広げています。

お互いに良きパートナーとなっている藤原兄弟(左:隆充さん、右:弟の章次さん)©︎藤原印刷

しかし、入社当時から今のような状況を想定できていたかというと、決してそうではなかったという藤原さん。

藤原さん「10年前は、僕も弟も今のような状態を全く想像していませんでした。当時は新卒を採用しても、数年の間に辞めてしまったり。電子書籍の新規事業もやってみましたが収益を出すのが難しかったり。とにかくいろいろなことに手を出しては、うまくいかないことが多くて。」

また弟さんも、出版社への営業活動で、印刷会社が抱える課題を目の当たりにします。業界構造的に川下に位置する印刷会社は、納期や価格交渉などで不利な立場となってしまうことがあるといいます。

そんな折、同じ印刷業界の方から「これから活躍するような若手のデザイナーにあたった方がいい」とアドバイスをうけ、デザイナーへのコンタクトを始めた弟さんは、藤原印刷として転機となる仕事に出会います。それが、『N magazine』という雑誌の再版でした。

“できない”を”できる”に変える印刷会社へ

『N magazine』は当時の現役大学生が作った雑誌で、著名なモデルやクリエイターを起用するなど、クオリティが高いことからSNSやWeb上で話題になっていました。しかし、つくった学生に弟さんがSNS上でコンタクトをとってみると印刷の仕上がりに満足しておらず、意気消沈している状態だったそう。そこで弟さんは藤原印刷での再版を提案し、破格の金額で請けることにしたのだとか。

藤原さん「印刷業界では、初版と再版を違う印刷会社ですることは通常あり得ず、印刷の具合を他社と比較することはできません。しかし、今回の場合は違いました。向こうが何に不満を感じていて、どうすればいいのかがわかっていて、社内に技術もある。単体で考えたら間違いなくマイナスですが、これをきっかけに営業できるという確信が弟にはありました。」

他社印刷(写真左)と比較すると藤原印刷(写真右)の方が服の細かい繊維まできちんと表現できていることがわかる©︎藤原印刷

結果は大成功。初版では潰れてしまっていた黒い服の繊維がはっきり出せるようになったり、元データの色味がしっかりと表現できたことで、喜んでもらえました。さらに大きかったのは、他社との印刷の違いを現物を見せて比較できるようになったこと。これによって、口頭で説明するよりも、つくったものがそのまま営業につながる流れができたのだとか。

また、もう一つの転機となったのが、藤原さんの部署異動でした。印刷部門から、資材の発注や外注先とのやりとり、印刷の工程から加工や製本などの後工程まで見据えてコントロールする生産管理部門へと異動。そこから、『N magazine』での成功体験を通して、弟さんが受注したデザイナーたちからの依頼を、藤原さんが印刷から製本・加工などの後工程まで組んでいく日々が始まりました。

藤原さん「弟がデザイン・クリエイティブの市場を切り拓く度に、『こういう仕様はできないか?』など、新しい注文がどんどん入ってくるようになりました。それまでは出版社さんからの依頼に特化した製本がメインで、対応できなかったものも多かったのですが、日本全国どこかで絶対にできると、協力会社を増やして実現させていきました。」

こうして、案件数が重なると経験値が上がり、印刷から制作物に落とすまでの知識やノウハウが蓄積されていきます。そのうち、今度はリクエストを受けるだけでなく、デザイナーの「こうしたい」に対して、提案ができるようになっていったのだそう。

藤原さん「経験を繰り返していくと、洗練されていきます。リスクを冒さないやり方はもちろん、事前準備に何が必要か、どれくらいの工数が必要かなど。最初は、お客さんの頭の中にあるものを実現するために四苦八苦して経験していたことが、提案の引き出しとなってうまく回り始めました。」

“印刷の意味”の再考。自分らしさを表現するための選択肢をつくりたい

印刷オペレーターは、つくり手たちが出したい色味や質感を表現する上で鍵となる存在だ©︎藤原印刷

藤原さん「最近ようやく言語化できてきたのですが、自分たちのやりたいことは選択肢をつくるということだと思っています。本などの印刷物をつくる方は、ほとんどが初めての方です。そこで、自分たちと関わることによって、他の選択肢が生まれ、本や名刺など、自分らしい紙ものづくりを実現していく。その結果、一人でも多くの”らしさ”が出てくる社会になったらいいなと思っています。」

そもそも印刷によって可能になるものは、自分らしさの表現であり、印刷物はそのための媒体であること。藤原さんとお話していると、印刷という行為が持つ本質的な意味に気付かされます。

藤原さん「印刷はあくまでも表現するためのツールです。人が表現することをやめることはまずない。これまで表現の選択肢の中で紙が大きな割合を占めていましたが、SNSやYoutubeが誕生しその座が置き換わりました。その一方で、紙がデジタルと差別化できるようになったのも事実です。また、デジタルがあるからこそ、SNSを通じて自分たちが知らない人に知ってもらえることもある。なので、紙とデジタルを二極化させて”OR(オア)”よりも、”AND(アンド)”で考えています。」

表現するための媒体が多様になったからこそ見えてきた、紙にしかできないことや紙の方が得意なこと。その部分を活かしながら、表現したい人へ寄り添ってきた藤原印刷。そうして培われた多様な業種や職種の人たちとのつながりは、”無形の資産”として新たな広がりを見せています。 

藤原さん「工場や機械などの見えている資産以外にも、これまでの仕事を通して関係性を紡いできたデザイナー、写真家、編集者、ライターなどたくさんのつながりがあります。今後はそれを”無形の資産”として活かしたいと思っています。」

昨年上田市とKIRINがタッグを組んで実現した、ワイナリーから上田市を盛り上げるイベント『UEDA WINE BUSINESS LAB』では、つながりのある分野からゲストを呼ぶなどのサポートを行ったり、信州大学が開発した特殊技術である『信大クリスタル』を地場産業とつなげるような企画運営やPRの座組みを組むなど、必ずしも印刷や製本の伴走だけに止まらず、企画や事業の伴走、コーディネートも行うように。

このようなアクションができるのは、藤原印刷として品質の追求やお客さんへの対応を丁寧に行ってきたからこそ。自分たちを選んでくれた人たちに対して、印刷のクオリティや対応力を上げる努力を地道に積み重ねてきた、その実績から好循環が起きていることがわかります。

創業以来初めてのロゴ作成から見えてきた、藤原印刷として大事にしたいこと

2021年末、藤原印刷では、創業65周年を記念したイベントが開かれました。そこでは初めて制作したという社名ロゴの発表と、社訓である”心刷”を改めて会社全体で捉え直す機会がつくられたそうです。

そういえば、藤原さんの名刺にも印字されている”心刷(しんさつ)”という文字。”心刷”とは何でしょうか。

創業当時の様子©︎藤原印刷

藤原さん「創業者は当時タイピストで、すぐ横に打ち込む前の手書きの原稿用紙があるのですが、ここにはもう、ものすごいドラマがあるんです。筆者の筆圧が強いとか、編集者と著者間の赤字での戦いの跡があったりとか。しかし、タイプライターで打ち込んだ後はその温度が失われてしまう。それでもその一番熱い部分を一つでも残そうという姿勢を、行為に落とし込むという意味で、”心を刷る”と書いて”心刷”という造語を考えたそうです。」

名刺に刻まれている”心刷”の文字

今回、社名ロゴをつくる際には、この”心刷”という言葉を、改めて社内で再定義したといいます。ロゴを依頼したのは松本市出身のデザイナー。その方のお父様も以前は藤原印刷でデザイナーをしていたという、親子二代で藤原印刷とゆかりのある稀有な存在です。

藤原さん「すごくプロセスを大事にする方で。つくり出すデザインも、中がわかれば自然と出てくるという考えだったので、長時間にわたってインタビューしてもらったり、過去の資料を見てもらったり。創業当時から大事にしている会社のキャラクターや哲学を本当に上手に言語化してくれました。」

創業者が造った”心刷”を今の藤原印刷に照らし合わせて解釈すると、2つの要素が見えてきたといいます。

藤原さん「一つ目が品質への強いこだわりで、もう一つがお客様への細かい気配り。どちらも欠けることなく、両方とも成り立つからこそ”心刷”と言えるということを導き出してくれて。おかげで、会社の中でも『自分たちは”心刷”らしい仕事をしているのか』と話すきっかけになりました。」

社名ロゴには創業時からの伝統を大切にしつつ、これからの時代も常に印刷の可能性を追求していく雰囲気を感じる©︎藤原印刷

変化をおそれず、自分を更新できる人へ

社名ロゴの制作によって、改めて会社全体の共通言語となった“心刷”は、お客様とのやりとり時などの対外的なところだけでなく、社内でも活用されようとしています。

これから藤原印刷に入社する人も”心刷”という哲学に共感し、実践できる人であってほしい。同時に、時代とともに変わり続ける藤原印刷で働くためには、来たるべき変化をおそれず、自己を変容させていけることも大事な要件といえるかもしれません。

藤原さん「自分のスタイルや慣れきったところに固執してしまうと次に進めなかったり、足かせになってしまいます。僕らが結構変わっていってしまうので、採用したいのは変容できる人や、ハングリーな人。変わることのできる人はハングリーな人だと思うので。」

現在90名ほどの社員がいる藤原印刷。配属される部門や職種によって働く環境や求められるスキルは異なりますが、どのポジションになったとしても、そのポジションにしかできないことが必ず存在します。

日々でき上がる印刷物は、たくさんの人のチームワークによって支えられている©︎藤原印刷

藤原さん「会社組織全体に言えることですが、そのポジションにしかできないことが必ずあるじゃないですか。会社自体の活動や動き方に魅力を感じながらも、自分の仕事に誇りを持って、自分の専門分野を突き詰めていく人が向いている気がします。」

それは、印刷オペレーターであれば、インクや紙や印刷のことを熟知し、美しい印刷をすることでお客様の満足度を高めていくことだったり、経理の担当者であれば数字を用いて部署を横断的につなぎ、現場にも経営意識を醸成することだったりするかもしれません。

変わり続けることをおそれず、自分を更新できる方。自分の仕事に誇りを持って取り組める方。ぜひ藤原印刷の門戸を叩いてみてください。

文 岩井美咲

※ 撮影のため、取材時はマスクを外していただきました。

藤原印刷 公式Instagram URL
https://www.instagram.com/fujiwara_printing/

藤原印刷 公式note URL
https://note.com/fujiwaraprinting/

募集要項

[ 会社名/屋号 ]

藤原印刷株式会社

[ 募集職種 ]

(1)経理総務管理職候補
(2)DTPオペレーター
(3)印刷オペレーター

[ 取り組んでほしい業務 ]

(1)経理総務業務全般をお任せします。まずは日々の入出金管理や伝票処理、各部門や対外的な会計・税理士との折衝をお任せしつつ、ゆくゆくは管理職として、より経営に近い視点での管理会計機能の強化、及び攻めの体制づくりを共に行っていただきます。

(2)専門書や一般書籍のDTP制作をお任せします。制作ソフトAdobe InDesignを使用した組版を中心に、紙媒体だけでなく電子書籍の制作も行っていただきます。紙にしかできないこだわりを大切にしながら、新しいデジタル技術などを積極的に取り入れ、圧倒的な本の美しさを追及、事業の拡大を行って頂くことを期待します。

(3)印刷機のマシンオペレーションをお任せします。多種多様な要望に合わせて環境やセッティングを調整し、クオリティの高い印刷物を制作して頂きます。強みである小ロット・高品質印刷で、大量生産ではできない圧倒的な本の美しさ、紙にしかできない表現力を追及して頂くことを期待します。

[ 雇用形態 ]

正社員(試用期間3か月※)
※勤務条件は変更なし

[ 給与 ]

月額205,000円~500,000円
※残業手当は残業時間に応じて別途支給

[ 勤務地 ]

長野県松本市新橋7-21

[ 勤務時間 ]

8:30~17:30(休憩60分)

[ 休日休暇 ]

日曜日・祝日(年間休日106日)
※一部土曜出勤あり 有給休暇(入社半年経過時点10日)

[ 昇給・賞与・待遇・福利厚生 ]

・通勤手当(会社規定に基づき支給)
・昇給年1回
・賞与(実績年2回)
・健康保険
・厚生年金
・雇用保険
・労災保険

[ 応募要件・求める人材像 ]

(1)
<必須要件>
経理の実務経験をお持ちの方(目安:決算補助のご経験

<歓迎要件>
月次・年次決算のご経験をお持ちの方 日商簿記検定2級以上

<求める人材像>
・将来的に経理部のリーダーとして、一緒に攻めの体制づくりに取り組みたいという気概のある方
・少数精鋭の組織の中で、柔軟性と主体性を持って働くことのできる方

(2)
<歓迎要件>
SE/プログラミングの経験がある方 ※一見関連性が無いように見えますが、SE/プログラミング経験のあるメンバーが多数活躍しています。

<求める人材像>
・お客様の視点でレイアウトやデザインを構想し、使いやすさ、読みやすさを追求する努力を惜しまれない方
・縁の下の力持ちタイプで、会社を支えることにやりがいを感じられる方
・コツコツ地道にスキルを磨き続けられ、成長することが好きな方 ◎スキルや経験よりも、ポテンシャルや当社との相性を重視します。

(3)
<歓迎要件>
製造現場でのご経験(例:製造オペレーター)

<求める人材像>
・ものづくりが好きな方、本が好きな方、紙が好きな方
・効率や生産性だけでなく、紙にしかできない表現力を最大化し、新しい仕様にも積極的にチャレンジされる方

[ 選考プロセス ]

筆記試験

面接(1~3回)

内定

[ その他 ]

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取材記事
個人やデザイナーに愛される兄弟の決意「紙の本でも、一人ひとりの思いと一冊に寄り添う」/朝日新聞社 好書好日

本が売れない時代、なんてウソ。藤原印刷の敏腕営業が語る「仕事をつくる」方法とは?/ジモコロ

「本の印刷」で人とつながる アトツギが拓く印刷業の可能性 / 事業構想

「販促ではない、関係性を築くこと」 藤原印刷に聞く、広報PRの注力で見えた世界 / PRTIMES MAGAZINE

「松本のことは全然好きじゃない」藤原印刷三代目が語る、移住先で“居場所”をつくる方法 / SuuHaa(長野県・信濃毎日新聞運営

世界でたった1つの色から生まれた、「山の上ニューイ」のリーフレットができるまで。思いを印刷する藤原印刷のものづくり|ヤッホーブルーイング