時代の変化に合わせて、常に新しいことに挑戦し続ける。
これまでのうなぎ屋のイメージを良い意味で打ち壊し、うなぎの文化を次の世代につなげていきたい。

力強い瞳が印象的な宮澤健さんは、岡谷市と松本市に店を構える「やなのうなぎ 観光荘」の3代目。経営理念に掲げる「一歩前進、元気が一番、笑顔の前に笑顔あり」を体現するような、とびっきりの笑顔で私たちを迎えてくださいました。

地域の老舗看板を背負いながら、「シルクうなぎ」や「宇宙うなぎ」など、少し尖ったプロジェクトを生み出す宮澤さんは、柔軟な発想と発信を通じた仲間づくりを続けるイノベーター。

今回出会いたいのは、そうして生みだされたプロジェクトを、育て広める推進力となる人材です。今までの観光荘にはない新しい領域とのことで、企画広報主任を務める奥さまの玲(りょう)さんと、観光荘の外部パートナーとして経営支援をする高柳祐人さんを交え、賑やかな取材となりました。

地元に愛される名店・観光荘

有限会社観光荘の創業は昭和29年。店名の観光荘は、いわゆる「観光」の荘(やかた)ではなく、ほたるの「光」を「観」る荘です。岡谷市と辰野町のほぼ中間、天竜川のほとりに建つ岡谷本店から見える景色に由来しています。

まだ天竜川でうなぎが捕れた頃、この場所では、簗(やな)という竹でつくった仕掛けを使って漁が行われていました。うなぎ屋をはじめたのは、岡谷市最後のやな師だったという宮澤さんのおじいさん。捕れた川魚を、地域の人たちが仕分けしたり、捌いたりしていたのが、今も観光荘の離れとして使われている茅葺屋根の建物です。

宮澤さん「僕は写真でしか知りませんが、お客様から、簗(やな)のある景色を教えてもらうことがあります。先代の頃から今日まで、3〜4世代に渡るお付き合いができるのは、すごく嬉しいしありがたいなと思います。」

川の中に足場を組み、上流から泳いできた魚がかかるのを待つ「やな漁」©観光荘

岡谷市のうなぎ文化は、ちょうど関西と関東の中間。観光荘では、背開きした身を蒸さずにじっくり、炭火で焼き上げます。香ばしい皮に絡まる秘伝のタレは、創業から継ぎ足された甘めの味。定番はうな重ですが、「サッパリと食べたい」というリクエストに応えたオリジナルの「やなまぶし丼」も人気なのだそうです。

困難を乗り越える鍵は、地域の資源とブランディング

昔はたくさんあったうなぎ屋も、昭和になって天竜川でうなぎが取れなくなったり、事業継承問題で跡継ぎがいなかったり、今では随分数が減ってしまいました。それでもなんとか、この地でうなぎ文化を継承していきたい。そこで、岡谷市ならではのうなぎ文化をつくれないか考えた末、目を付けたのが「シルク」でした。

岡谷市はうなぎが名産ですが、シルク産業で栄えた歴史もあります。今は減ってしまいましたが、宮澤さんが小さい頃は、まだ製糸工場が地域に残っていたそう。

宮澤さん「この辺りは水が豊かなので、だいたいどの家も庭に池があって鯉を飼っていました。そのエサとしてあげていたのが、蚕(かいこ)のサナギです。きっと工場で出たものを安く入手できたのでしょう。うなぎもサナギを食べるのでは?と考え、うなぎの生産者に相談してみることにしました。

今までは、うなぎ屋と生産者が交わる機会は業界でもほとんどありませんでした。しかし、ここ数年でお互いに世代交代が進み、つながりができはじめたんです。初めは小さくとも、顔の見える生産者さんと美味しいうなぎをつくりたいと考え、愛知県豊橋市の若手の社長に相談して生まれたのが、シルクうなぎです。」

うなぎ屋が生産者に直接お願いをするのも、エサとして地域の資源を与えるのも、どちらも前例がない、初めての取り組みでしたが、様々な困難を乗り越え生まれたシルクうなぎは、通常のうなぎよりもやわらかく、あっさりした上質な脂が特徴。自信を持ってお客様にお届けできる商品になりました。
さらに、どうしたら広く“思い”を伝えられるのかも大切だと考えた末、こだわったのが、元々デザイナーだった玲さんの手がける商品ブランディングでした。今までうなぎの真空パックやレトルトは、いかにも「うなぎ」と見て分かる状態が主流でしたが、シルクの上品なイメージを伝えるため、すべてを見直したといいます。

玲さん「透け感のある繭(まゆ)をイメージした袋のなかにパックを入れ、贈り物として使っていただける、特別なうなぎを考えました。付加価値を生みながら、どうしたら魅力が伝わるか、お客様に喜んでもらえるかを模索しています。」

デザイナーと打ち合わせを重ねた玲さん(写真右側)
シルクうなぎのリーフレットも特殊な印刷を依頼し、上品な仕上がりを意識したそう©観光荘


観光荘が手掛けるもう一つのプロジェクトは、このシルクうなぎの蒲焼きを宇宙食にする、というもの。はじめから目指していたわけではなく、いくつかの要素が集まって辿り着いたのが「宇宙食」だった、と宮澤さんは振り返ります。

宮澤さん「ことの起こりは、冒険家・小口良平さんの講演会でした。岡谷市出身の彼が、“今度は南極を自転車で走りたい”と語っているのを聞いて、“南極で岡谷市のうなぎを食べてくれたら夢があるな”と思ったんですね。南極に持って行ける食材を調べてみたら、これが宇宙食の条件と似ていたんです。」

さらに調べていくと、宇宙航空研究開発機構JAXAが日本の宇宙食を公募していることが判明。さらに、時を同じくして改正された食品衛生法をきっかけに、「宇宙うなぎ」の構想と開発が一気に進んでいきました。

宮澤さん「2021年6月、日本でもHACCP(ハサップ)という衛生管理の手法が義務化されることになったんです。これはもともと、アメリカのアポロ計画で、宇宙食の安全性を確保するために発案された衛生管理なんですね。求められるハードルは高いのですが、”宇宙食の開発を目指してクリアしよう!“ってなったら、社内担当者のモチベーションも上がるんじゃないかと考えました。」

こうしたアイデアを口に出すことで、思いに共感する仲間がどんどん集まってきた、と宮澤さんはいいます。

宮澤さん「宇宙うなぎは特に、いろんな縁がつながりました。遠い存在だと思っていたJAXAはものすごく間口が広いし、信州初の宇宙飛行士の油井亀美也さんとお話しする機会があって、“宇宙でうなぎを食べたい”と言ってもらったことにも勇気をもらいました。

宇宙食をテーマにした漫画「宇宙めし!」の作者さんや、YouTubeでウナギストとして活躍している国立機関の研究員さん、小豆島で宇宙食をつくっている企業さん。クラウドファンディングを一緒に立ち上げた地元の高校生たちも、“宇宙”という単語があったから出会えたのだと思います。」

自分たちだけでは進まなかったことも、外的要因がとてもポジティブで、背中を押してもらった、と話す宮澤さん

軽やかに新しい風を吹かせる宮澤さんですが、そのパワーはどこからやってくるのでしょうか。

葛藤を抱え、もがいたスタッフ時代

高校卒業後は東京に出て、ギターをつくる勉強をしたり、バンドを結成して音楽活動に打ち込んでいた宮澤さん。CDを出し、ツアーをまわるほどの実力者だったそうですが、「店を継ぐ」という意思が消えたことはありません。音楽と並行して調理師免許を取り、夏は長野に戻って観光荘の手伝い、その他の季節は都内で過ごし、オペレーションやマネジメントを学ぶために飲食店でアルバイトをしていました。

宮澤さん「バンド活動は、いつかは長野に戻るという制限があったから頑張れたんだと思います。誰かと何かを立ち上げてつくる過程には、もちろん面倒なことがある。楽しいだけではない、と学んだのは、このときです。自分のベースは、バンド時代に培われた気がします。」

どんどん手を動かしてつくっていくので、バンド仲間からは”実務家”と言われていたんだとか。
玲さんとの出会いもバンドがきっかけで、今も音楽活動を共にすることも。©観光荘

また宮澤さんが一番苦手なのは、“現状維持”なのだとか。味を、店を、文化を守り継ぐ飲食店のイメージとは少し違う気もしますが、現状維持は衰退だと考えているようです。

宮澤さん「店を継ぐために、27歳のときに長野に戻りました。当時の社員数も15〜16人で、自分も現場スタッフとして店に入っていました。でも、昔ながらのやり方を変えずに続けている、同族経営ならではのゆるい雰囲気に馴染めなかったんです。“もっと改善できるのに!”と思っていました。」

やるからにはとことんこだわる性格から、当時はよく家族とぶつかっていた、と宮澤さん

自分が未熟なのかもしれないと気付いたのは、あるお客様からの問い合わせがきっかけでした。近くの人にとって、お食い初めや成人式のお祝いなど、節目に食べる特別な食事でもあるうなぎ。そのなかに、「母の最期の食事に、観光荘のうなぎを届けたい」というお客様がいらっしゃったのです。

宮澤さん「いくつかのジャンルで飲食を経験してきましたが、ここまで誰かの一生に関わる食材というのは、他で出会ったことがありませんでした。お客様とこうしたお付き合いができるのは、この場所で店を守ってきた家族やスタッフのおかげだと、ハッとしたんです。お問い合わせのうなぎお渡ししたときは、本当に身の引き締まる思いでした。」

そのときから、経営に関する思いも変わっていったのだそう。これまで一族が築いてきた土台はしっかり守りつつ、時代の変化に合わせて、必要なところはどんどん新しいことに挑戦していく。そんな観光荘を支える経営理念が、冒頭で紹介した「一歩前進、元気が一番、笑顔の前に笑顔あり」です。

宮澤さん「これは、よく母が言っている言葉なんです。常に一歩前に進まなきゃいけないし、うなぎは、食べるとみんな元気になる。お客様が“美味しかったよ”と笑顔で帰られるので、こちらも笑顔になって、エネルギーをもらえます。突き動かされる、というか。逆に”それって笑顔にも元気にもならないよね“というときは、周囲の声も聞きながら辞める決断をしています。うまくいっていないのに続けるのは、リスクでしかありません。」

コロナ禍で、計画自体が成り立たないことをまざまざと見せつけられている昨今。宮澤さんは、変化が起きたとき即時に対応できない企業は生き残れない、と感じています。

宮澤さん「アフターコロナだけではなく、うなぎは気候変動や社会情勢の影響をもろに受けます。変化に対応していく力をつけないと、働くみんなの職がなくなってしまうということも、ずっと頭の片隅にありますね。」

領域を広げ、うなぎのポテンシャルを引き出す

これまでも、地域資源や人とのつながりを活かして様々な商品開発を続けてきた観光荘ですが、うなぎの文化継承という大きなテーマに向けて、中長期的な目標も動きはじめました。そこで、外部パートナーとしてジョインしたのが高柳さん。

高柳さん「私は5年前に長野県に半移住し、東京との二拠点をしながら、様々な事業者の経営支援を行なう会社を経営しています。健さんと出会ったのは、うなぎとは全く違うプロジェクトでしたが、声をかけてもらって。主な役割は、外部の視点で会社の中長期的な経営戦略を一緒に考えながら、現場に入り込んで伴走すること。社内の経営会議に参加したり、健さんの出張について行ったり、玲さんとイベントを開催したり、うなぎの加工所や厨房に立たせていただいたりと、観光荘の業務をひと通り把握しながら、一緒に伴走させていただいています。」

そんな新たなメンバーを加え、観光荘がこれから新たに挑戦するのが「うなぎの完全養殖」と「場づくり」です。

宮澤さん「現在の日本のうなぎは、原材料のほとんどを海外からの輸入に頼っています。
そもそもうなぎは、生態系や流通が不透明な資源。安全面や美味しさでは国産うなぎと遜色ありませんが、お客様からは、国内産の美味しいものが食べたいという声が圧倒的に多いです。」

国際情勢が不安定なこともあり、これから先も輸入に依存するのはリスクだと捉える宮澤さん。店を守るためにも、うなぎを食べる文化を残すためにも、大きな目標としてうなぎの完全養殖を掲げました。とてもハードルの高い挑戦ですが、できることから少しずつ取り組みをスタートしています。

そして、もう一つの新たな取り組みが、うなぎを通した「場づくり」。

玲さん「これまで様々な発信を続けてきたおかげで、業界や地域を越え、いろんな声をかけてもらえるようになりました。そんな中で、異なる業界とうなぎを掛け合わせる様々なコラボのアイディアが生まれてきて。うなぎの新しいポテンシャルを見出す上でも、大事なのはやっぱり人とのつながりだと実感しました。

ちょうど先月は、ハーブや香りの専門家をしている友人と一緒に、1回目のイベントを実施したところです。お客様に囲炉裏で自分のうなぎを焼いてもらい、香りをまとわせてスパイスで食べる。おしゃべりを交えながら、今までにない新しいうなぎの食べ方をみんなで模索し、満足度が高いイベントになったのではと思います。」

新しいイベントは、今まで出会うことのなかった客層を呼び込むきっかけになっている©観光荘

玲さんは、今後もワインとうなぎのペアリングや味噌づくりなど、食事以外で観光荘を訪れ、時間を過ごせるような企画を展開していくといいます。

玲さん「日本の人口が減ると、当然店を訪れるお客様自体が減ってしまいますから、ただうなぎを食べに来るだけではなく、この場所でいかに濃い時間を過ごしてもらうか、お客様との関係性をどうやったらより深いものにしていけるかを考えています。

すぐに何かの成果にはつながらなくても、こうしたプロジェクトが種まきとなって、10年、20年先の何かにつながるかもしれない。そういう、計画し過ぎない遊びの要素も大事にしたいと思っています。」

これからも様々な挑戦を続ける観光荘ですが、健さんの想いは、やはり岡谷という地をうなぎで盛り上げること。

宮澤さん「最終的な夢は、お店や養殖所が揃うこの場所で、天竜川に面したテラスを広げ、カフェのような、オープンスペースのような、全国からうなぎ好きが集まる”うなぎ村”をつくることです。

それが、自分が唯一できる、生まれ育ったこの土地への恩返しだと思っています。」

きっと違った形のアプローチも受け入れやすくなる、と期待を寄せる三人

求めているのは推進力。一緒にうなぎを楽しみながら新しいことに挑戦したい

観光荘では、社員の属性分布図があり、それぞれが得意分野を活かしながら働いています。

ひとつ目はイノベーター領域。新規事業をやりながら組織をぐいぐい引っ張っていく人たちで、宮澤さんや各店の店長、高柳さんもここに該当します。同じく新しいことを推進しつつ、専門領域を深掘りしていく人材が、玲さんや宇宙食の担当者のスペシャリスト領域。あとのふたつは、現場となる店で、最前線を守り続けるメンバーたちです。

高柳さん「今必要としている人材は、イノベーターとスペシャリストの間に立ち、戦略を実行に移すための計画を考え、実際に手足を動かしながら現場をどんどん推進していってくれるプレーヤーです。

これまでは地元での採用をメインにやってきましたが、今回の募集は都心にまで視野を広げ、企業で少し仕事の経験を積んだ若い方で、地方移住や復業などに興味がある方も対象に募集しています。」

宮澤さん「まずは人柄を重視したいです。その上で経験値や条件はどうなんだろう、と話ができればいいのかなと。正社員として雇用のほか、業務委託も想定しています。現場を横断的に動きながら働いてもらうことになると思うので、一緒にうなぎをおもしろがってくれたら嬉しいですね。」

うなぎはベールに包まれている部分が多くて、定義できないことばかり。生態からはじまり、「焼き一生」という言葉の通り、料理方法も一匹ずつ微妙に違うのだそう。

宮澤さん「どこかしら、ずっとミステリアス。知れば知るほど深みにはまって、飽きないですね。中長期ビジョンに沿っての募集なので、急いではいません。我こそは、という人に出会えたら嬉しいです。」

文化を守る老舗店のなかには、熱い思いと果てしない夢が溢れている。
動きはじめたプロジェクトの過程には、きっとたくさんの笑顔と元気、自分を一歩前に進めてくれる体験が待っています。

文 間藤まりの

※ 撮影のため、取材時はマスクを外していただきました。

募集要項

[ 会社名/屋号 ]

有限会社 観光荘

[ 募集職種 ]

新規事業推進担当

[ 取り組んでほしい業務 ]

・店舗営業を含む社内の一通りの現場業務
・新規事業の推進
 └商品開発
 └養殖事業実現までの業務全般
 └場づくり事業の企画、運営
 └その他

[ 雇用形態 ]

不問(正社員、業務委託、復業など要望に合わせて検討可)

[ 給与 ]

(a)正社員
中途(経験者)    240,000~450,000円
大卒・中途(未経験) 216,617~450,000円
高卒         199,050~450,000円
短大・専門卒     205,666~450,000円
※業務手当(30時間分の残業手当含む)
※30時間を超える時間外労働分についての割増賃金は追加で支給
※技能・職能・各種手当含む

(b)業務委託
要相談

[ 勤務地 ]

岡谷本店・松本店・加工工場(岡谷)・本部(岡谷)

[ 勤務時間 ]

(a)9:00~22:00の間の7時間45分
※実労9時間程度
休憩時間75分

(b)要相談

[ 休日休暇 ]

・週休2日制(定休日+週1日)※7月8月の繁忙期を除く
・年間休日96日
・春の5連休制度
・希望休制度あり(年間5日取得可能)
・有給休暇制度あり

[ 昇給・賞与・待遇・福利厚生 ]

・昇給年2回
・賞与年2回
・社会保険各種完備
・家族手当
・給食手当
・通勤手当
・社員割引制度あり
・資格取得補助制度(調理師免許および中型自動車免許の資格取得にかかる費用を全額負担)

[ 応募要件・求める人材像 ]

<必須要件>
3年以上の社会人経験

<求める人材像>
・観光荘の経営理念に共感いただける方
・うなぎを面白がり、うなぎの新たな可能性を一緒に引き出していける方
・事業の戦略を汲み取り、自ら考え実行できる方
・新規事業に伴う細かい作業や雑務も含めて手足を動かせる方

[ 選考プロセス ]

会社見学・説明会 (現地)

書類選考

面接2回(リモート、現地)

うなぎ面談(加工所に入り社員と一緒にうなぎを捌きながらうなぎと向き合う)

内定

※選考期間は約2週間程度を想定しています
※取得した個人情報は採用目的以外には使用しません。
※不採用理由についての問い合わせにはお答えできかねます。

[ その他 ]

よろしければ、こちらもご覧ください。

観光荘 HP
観光荘 リクルートサイト
シルクうなぎブランドサイト