地域に伝わる「立岩(たていわ)和紙」の職人となる地域おこし協力隊の募集があると聞き、長和町へ。インタビュー場所となる役場へ向かう道中、子どもの頃に体験した紙漉き(かみすき)をやった時の記憶が蘇えってきました。かなり以前の記憶でありながら、和紙の原料の感覚を、今でも鮮明に覚えています。

聞けば、長和町の小学生たちの卒業証書も全て和紙でできているのだとか。原料となる楮(こうぞ)の皮むきから、紙を漉くところまでを「信州・立岩和紙の里」で指導し、後日、ひとりひとりに手づくりの和紙が届くのだそう©︎長和町

長和町役場に到着すると、立岩和紙を次世代へ継承していくために活動する立岩和紙保存会のメンバーのみなさんがお集まりでした。保存会会長の藤田豊藏(ふじたとよぞう)さん、同じく保存会立ち上げの初期メンバーで会員の小林政文(こばやしまさふみ)さん、保存会で会計関係を務めているという森田勝之助(もりたかつのすけ)さんの3名です。

「まずはこちらをみてほしい」というDVDが再生されると、昭和59年の地元のテレビ局の収録映像が流れます。昭和59年は、ふるさとセンターが立ち上げられた年。立岩和紙保存会の拠点であり、今回募集する人も働く場所となる予定の建物です。もうかれこれ35年ほど前の映像に映し出されていたのは、当時の町長や保存会のみなさん。新しくできた建物で紙漉きをする藤田さんの姿はもちろん、当時の町長なども出演し、ふるさとセンターを起点にまちとしてどんな変化を起こしていきたいかなど、熱のこもったインタビューに、当時の興奮冷めやらぬ雰囲気を感じます。

古くは江戸時代から和紙の生産が盛んだった長和町。この地域に伝わる立岩和紙は、特に農閑期となる冬場の副業として重要な産業であり、一時は和紙の製紙業がとても盛んで工業組合化するほど経済が発展していたといいます。保存会の藤田さん、小林さんに、和紙の製紙業が栄えていた当時の様子、そして現在に至るまでの変遷を、また長和町役場の勝見さんに、今回の募集について伺いました。

立岩和紙が長和町で栄えた理由

保存会会長の藤田さん(写真左)、保存会メンバーの小林さん(写真右)にお話を伺った

藤田さん「まちに紙漉きをするためのふかし工場っていうのができて。」

小林さん「一般的に、和紙には楮(こうぞ)を使うけれど、当時は養蚕が栄えていたから養蚕の原料にも紙の原料にもなる桑の皮で紙漉きすることが多かったですね。」

しかし、養蚕業が次第に衰退し、桑の需要がなくなっていくと、川の土手などに植えられていた楮(こうぞ)が注目されるようになったといいます。繊維質がしっかりしていればいるほど和紙の強度も上がるため、質の高い和紙の生産が可能に。

写真は楮(こうぞ)。ちなみに、お札にはミツマタという植物が使われているが、紙の原料にはたくさんの種類があり、目的や用途によってでき上がりの質も異なる。和紙の世界はとても奥深いことがわかる

また、和紙産業が発展したもう一つの要因には、当時の人々の生活様式がありました。家の造りは3世代が同居できるように大広間がいくつも連なり、冠婚葬祭などで親戚一同が会すことができるよう、障子や襖がすぐに取り外せる構造になっていました。その障子の張り替えは、年末年始に地域で見られる風物詩にもなっていたようです。

小林さん「昔はどこの家でもお正月を迎えるために障子の張り替えをしたからね。障子が破けていなくても必ず張り替えたから、需要がたくさんあったけども、だんだんと生活様式が変わっていきました。」

人々の暮らしと密接だった和紙は、生活様式が変化するとともに徐々にその存在感が薄れ、需要も縮小していったといいます。需要がなくなると、和紙の産業を支えていた職人たちも、職を失ってしまいます。さらに、昭和30年代に2年連続で立岩地域をおそった台風により、原料となる楮の畑が流されてしまったこともあり、ひとり、またひとりと、和紙産業から離れる人が増えていきました。

現在、立岩和紙保存会の会長を務める藤田さんも、職人として一人前になって15年ほど和紙づくりをしていましたが、昭和45年頃に廃業。転職を余儀なくされたうちのひとりでした。

立岩和紙の存続危機に立ち上がった男たち

和紙づくりからは離れてしまった藤田さんでしたが、小林さんや森田さんなど、仲間とは定期的に寄り合いを開いていたそう。そんな折、寄り合いの仲間のひとりで、和紙職人をしていた方が亡くなるという転機となるできごとが起きました。

藤田さん「最後まで職人をしていた人が亡くなってしまったから、『立岩和紙の保存を目指すグループをつくろうじゃないか』と。それまで、毎月の寄り合いでは、みんなで会費を募って積み立てをしていたので、はじめはプレハブの建屋をつくって、そこでもう一度和紙を始めようかという案もあったわけ。」

グループのメンバーには、農業に携わる人もいれば会社員、経営者など、多種多様な業種や職種の人が集まっていました。小林さんは当時、役場の職員として働いていらっしゃったといいます。

小林さん「当時の町長さんに『和紙の事業を起こす話があるけど、どんなもんだいね』って聞いたら、『それじゃ話に来て』っていうことでね。15人のメンバー全員で、町長に陳情をしに行って。」

プレハブの建屋計画など、立岩和紙の伝統文化継承のために考えていることを伝えると、「本当にやる気があるなら国の事業と絡めてやってみよう」と、昭和59年には、立岩和紙の紙漉き実演や体験ができる『信州・立岩和紙の里(ふるさとセンター)』が完成します。

完成当時の信州・立岩和紙の里(ふるさとセンター)の様子。施設ができてから和紙を使った作品づくりをする作家さんともつながり、様々な作品が作られている©︎長和町

しかし、建物が完成しただけでは、立岩和紙の伝統を保存するには至りません。

小林さん「これまで使ってきた紙漉きの道具を集めようと、既に廃業してしまった工房を回って道具を集めて、ふるさとセンターで展示したり。それから、原料の楮(こうぞ)の苗をつくろうということで、休耕の田んぼに挿し木をしても芽が出なかったり。それでも必ず芽が出る方法を見つけようと、いろいろと研究して苗を植え始めたのはいいものの、今度は根っこを鹿に食べられちゃったり。」

工房の整備や原料生産の体制づくりだけではなく、和紙づくりにおいて肝となるのが、紙漉きの技法です。和紙としばしば比較される洋紙は、模造紙に代表されるようにパルプなどの繊維の短い原料を機械で大量に生産するものです。

一方、和紙の特徴は、職人ひとりひとりが自らの経験や勘を頼りにつくっていくもの。立岩和紙保存会の立ち上げや、ふるさとセンターの設立によって、再び和紙づくりを始めた藤田さんに、和紙職人として働く上で大切なことを聞きました。

全ては一枚の紙漉きから始まる

もともと、ご実家が和紙づくりをしていたという藤田さん。紙漉きは子どもの頃からやっていましたが、父から「後継ぎをするためには、他人の飯を食べなければ良い仕事はできない」と、高校卒業後、紙漉きの技術習得のために同業者の師匠のもとで働きました。

そこで原料を煮ることから、紙を漉くこと、紙の切断など、1から100までを覚えたといいます。一年のうち、紙漉きがピークになる時期は、冬場の寒い時期。”寒月(かんづき)”とも呼ばれ、手が切れそうなほど冷たい水の中から漉き出す紙こそ、最高級の紙ができるとも言われているそう。

藤田さん「まあ大変だったよ(笑)。朝はだいたい5時に起きてね。前の夜に煮ておいた楮を河原へ運んでアク抜きして。そうして休むのは20時頃だね。それでも、その家の人はいい人たちで。「あそこに金が落ちてるから拾ってこい」って言われたことあるんだ。行ったけれど、お金も何もない。そしたらね、和紙の原料の楮が落ちていたこともあったっけ。」

楮の灰汁(あく)抜きを河原で行う様子©️長和町

紙漉きは全てが職人技。紙一枚の厚みが均等であることはもちろん、500枚漉くなら、500枚全てが同じ厚みでなければなりません。例えば、紙漉きの作業中に何か用事が入ってしまうと、感覚がぶれてしまい、最初に設定した厚みから誤差が出てきてしまうこともしょっちゅうだといいます。

藤田さん「朝一番に漉いた紙が、その日の紙の厚さの基準になるんだけど、『ちょっと用事ができた』と車に乗って出掛けて戻ってくると、もう手が狂っちゃってるんだ。」

しかし、紙漉きの技術を本格的に習得するには、藤田さんでも10年以上かかったといいます。このことを踏まえると、地域おこし協力隊の3年という任期の中で、どれくらい技術を体得できると良いのでしょう。

藤田さん「まずは一枚、完全な紙を漉けるようにならなきゃ駄目だな。良い紙を漉かなきゃ。自分が一時職人を辞める時でもまだ本当にこれは良かったなという紙はなかったよ。これでいいっていうのはなかなかない。」

信州・立岩和紙の里の工房の一角。原料の楮にカセイソーダを入れて煮る工程の説明をしていただいた

藤田さんのお話を伺うと、一枚の紙を漉けるようになることは、単純なようで最も難しいことのように感じます。職人界で技術の習得をするというと、弟子は師匠の背中を見ながら、それを見様見真似で体得しなければならないようなイメージがありますが、長年立岩で和紙職人をしてきた藤田さんは、わからないことをわかったふりをせず、きちんとわかるまで質問することが大事だとおっしゃいます。
 
藤田さん「聞いてもいいさ!いいのいいの。聞くは一時の恥っていうけれども、上達するには聞かなきゃ駄目だわ。」

聞いて、吸収して、経験を積み重ねながらどんどん自分のものにしていく。そうすることで技術も向上していきます。しかし、技術の伝承活動を続けてきた保存会のみなさんはほとんどが80代の方で、近々60〜70代の方々へ代替わりを行うらしく、一緒に活動できるのはもしかすると今年が最後。紙漉きの技術継承は喫緊の課題なのです。

和紙だからできること、和紙にしかできないことをつなげていく

和紙の需要が減ってしまった今、立岩和紙を存続させるには、和紙が使われるシーンや活用方法の模索も必要になりそうです。

長和町で、和紙を使った鞄や服をつくる人がいると聞き、勝見幸江(かつみさちえ)さんのもとを訪ねました。

50cmの紙布を作るまでにはだいたい1日がかり。最初のうちは長時間にわたって集中して作業しなければならず大変だったというが、今では歌を口ずさみながら機織りができるほどになった

勝見さん「和紙を糸として機織り機で織り込んで布をつくる紙布(しふ)から、鞄やポーチ、コートなどさまざまな作品をつくっています。絹を使ったものは絹紙布といって、縦糸は絹で、緯糸(よこいと)は和紙です。木綿の場合は、綿紙布といって。いろいろな種類があります。」

縦糸も緯糸も全て和紙でつくられるのは諸紙布(もろしふ)と呼ばれ、これが一番時間がかかるそうだ(写真中央)

和紙で糸をつくるという想像がつきませんが、紙布をつくる際には機織り機にかける前に、和紙をカッターで丁寧に3ミリ幅にカットし、それを​​よって糸にするという時間のかかる工程があります。

話を聞くだけでも相当な時間がかかる大変な作業。勝見さんはなぜ紙布を使った工芸品をつくり始めたのでしょうか。

勝見さん「もともとは保育園の調理員をしてたんですが、もう定年になったものですから。『ちょっときておくれや』と和紙の里で言われて、紙付けという和紙を乾燥させる作業のお手伝いを一年ぐらいしていました。メキシコでの立岩和紙の展示にも行かせてもらって、自分も何かつくってみたいなと思った時に、当時の役場の職員から『せっかくやるなら和紙にしたら』と提案をいただいて、始めたんです。」

勝見さんは、既にでき上がった糸を用いて織物をするだけでなく、天蚕(てんさん)と呼ばれる、山中でクヌギの葉を食べて育つ蚕を自ら育て、そこから糸を紡いで絹をつくるなど、工芸品の素材づくりも探究しています。

勝見さん「とにかく一つやり始めると、作品ができあがるまで楽しみでね。時間はかかるけど、『早くできるように』って自分に言い聞かせてね。」

中には、勝見さんが和紙で作品をつくっていることを知り、結婚式のウエディングドレスを注文したという人も。和紙でできた特注のドレスは新婦の方から「着心地が良く、暖かくて軽かった」と、とても喜ばれたそうです。

障子紙から糸、そして鞄や服づくりへ。勝見さんの作品に触れたことで、和紙の可能性がさらに広がって見えました。

伝統継承の意味を考える

立岩和紙を次世代につなぐことは、そのままを残すということではなく、これまでの歴史や人々が暮らしの中で大事にしてきたことを理解しながら、現代の社会において求められていることは何かを考え、自分なりに行動していくことだと考えられそうです。

最後に、今回募集をする地域おこし協力隊について、町役場の教育課の勝見譲(かつみゆづる)さんにお話を伺いました。勝見さんは、先ほどの紙布作家の勝見さんの親戚にあたります。

勝見さん「まず、立岩和紙の保存・伝承というところが一番の活動になります。そのためにもご自身が立岩和紙を漉くという技術を身に着けていただくことが、土台となるかと思います。その後、特産品化などご自身で作品をつくっていただいたり、今残っている技術を動画としてアーカイブ化するといった展開も考えられるかもしれません。」

勤務場所は信州・立岩和紙の里(ふるさとセンター)となりますが、立岩和紙の保存・伝承となると、保存会や工芸作家さんなど、立岩和紙の保存に日々邁進してきた人たちとのコミュニケーションも大切になりそうです。また、高齢化が進んでいることから、PR活動にも課題があるのだとか。

勝見さん「立岩和紙の質の良さや可能性をPRしていくとなると、今の時代はSNSを活用しなければなりません。時代に即したツールを使っての魅力発信をお願いできたらと思っています。任期が終了した3年後には自立をしていただかなければならないので、先々を見据えながら、立岩和紙の新しい商品開発や販路拡大もできるといいですね。」

地域の人々の暮らしとともに発展してきた、立岩和紙。伝統技術を新たな視点で編集し、これからの時代にも求められる和紙の活路を一緒に見出し、広げてみませんか?

文 岩井美咲

※ 撮影のため、取材時はマスクを外していただきました。

募集要項

[ 会社名/屋号 ]

長野県長和町

[ 募集職種 ]

地域おこし協力隊

[ 取り組んでほしい業務 ]

■立岩和紙の伝承・保存
・立岩和紙保存会と連携し、紙漉き技術を習得しながら立岩和紙を残していく保存活動を行っていただきます。
・立岩和紙の伝承施設と連携し、SNSを活用した魅力発信やリブランディング、商品開発や販路拡大など、時代に合うよう形を変えながら後世に伝承していく活動を担っていただきます。
・地域に根付く伝統技術を地域の未来に還元するべく、学校等の紙漉き体験受入への参画をしていただきます。

[ 雇用形態 ]

■形態 長和町地域おこし協力隊(会計年度任用職員(パートタイム))として長和町長が任用します。
■期間 任用開始日から1年間。(ただし、1年単位で最長3年まで延長することができます)
■その他 任用期間終了後の定住に向けた支援を行います。

[ 給与 ]

月額205,000円
期末手当約260,000円(年2回)

[ 勤務地 ]

長和町内中心

[ 勤務時間 ]

8:30~16:15(休憩60分)
※活動によっては時間外に勤務を要する日があります。(代替休暇対応可)

[ 休日休暇 ]

週休2日制(土・日)
国民の祝日及び年末年始

[ 昇給・賞与・待遇・福利厚生 ]

■手当    年2回の期末手当あり
■保険    社会保険(事業所負担分)・雇用保険・労災保険に加入
■住居    町で町営住宅を用意、また空き家を借り上げ無償提供
■自動車   活動に必要な自動車(公用車)は無償提供
■活動経費  協議の上必要に応じ予算の範囲内で町が負担
■活動物品  ノートパソコン等業務に必要な物品の貸与
■移住助成金 隊員の移住(引っ越し)に係る経費を1世帯につき10万円助成

[ 応募要件・求める人材像 ]

◎紙漉き技術の習得を通じて立岩和紙の新しい可能性を引き出し、和紙にしかできない表現で付加価値を生み出していくという気概のある方
(1)年齢 問いません
(2)性別 問いません
(3)住所 現在三大都市圏等(過疎、山村、離島、半島等の地域に該当しない市町村)に居住し委嘱後に、住民票を長和町に異動し、移住できる方
(4)普通自動車運転免許証を取得している方
(5)パソコンの基本操作(ワード、エクセル)及びインターネットを活用できる方
(6)集落になじむ意思があり、住民と共に積極的に地域活性化に取り組む意欲のある方
(7)地域活動やイベントにも積極的に参加できる方
(8)防災・消防活動等に積極的に協力できる方
(9)地方公務員法第16条に規定する欠格条項に該当しない方
(10)その他 家族での応募・居住も可能です

[ 選考プロセス ]

採用担当より次の選考についてご案内いたします
 ↓
【書類審査】
・履歴書(写真付)
・R4応募用紙
以上の書類を、下記送付先までご送付ください。
●送付先
〒386-0603 長野県小県郡長和町古町4247‐1
長和町役場 企画財政課 まちづくり政策係
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【面接審査】 書類選考を通過した方には面接試験を受けていただきますが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、面接試験の実施日は調整の上、改めて通知させていただきます。
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【内定通知】

[ その他 ]

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