創業からおよそ70年、ガソリンスタンドや車の整備工場、コインランドリーやフィットネスジムなどのさまざまな生活インフラに関連する事業に取り組んできた「株式会社立石コーポレーション」。常に社会の変化を感じ取りながら、地域のお客様のニーズに呼応した事業づくりに励んできました。同社の3代目代表取締役の立石宗一郎(たていしそういちろう)さんは、学生時代、途上国でのボランティア活動で出会った子どもたちのキラキラした笑顔が経営者として会社を成長させるための原動力となっているといいます。

日常生活の中で人々が笑顔になるサービスを提供しながら、ゆくゆくは貧困や教育格差などの社会課題の解決にもインパクトを及ぼし、日本だけでなく世界規模で笑顔を増やせるように自社を成長させていきたいと意気込む立石さん。地域に、そして世界に、笑顔がひろがる未来をつくるため、企業として取り組んでいることや、これから一緒に働いていきたい人材とはどのような人物か、幹部人材の吉岡知輝(よしおかともき)さんと共にお話を伺いました。

ガソリンスタンド事業を基盤に多面的なビジネス展開を目指す

中央自動車道の塩尻ICを降りて、国道を車で5分ほど。大きな交差点の一角に見えてくるのは「株式会社立石コーポレーション」が運営するガソリンスタンドです。給油しに来る人や、少し前に降った雪の影響で洗車に来る人など、ひっきりなしに車が往来するスタンドを通り過ぎ、インタビュー場所の社屋に向かいます。

「株式会社立石コーポレーション」3代目代表取締役の立石宗一郎(たていしそういちろう)さん 

立石さん「全店合計で毎月18万人程度の来客数があるガソリンスタンド事業と、長年培ってきたお客さまとの信頼関係があることがうちの強みです。それらをベースにして、どんなサービスでも展開できるポテンシャルがあるからこそ、自分自身が住んでいる地域にあったらあったらいいなと思う、お客さまに喜ばれる事業をしたいと考えています。」

長野県内でも来店台数が圧倒的に多い「株式会社立石コーポレーション」はガソリンの販売量も県内トップクラスを誇る

2018年、立石さんが3代目に就任してからは、以前から温めていたライフスタイル事業に着手。商店街の賑わいづくりにつながるようなカフェやランドリー事業の立ち上げを皮切りに、天然酵母や無添加素材にこだわったベーカリー事業、24時間365日稼働するジムの運営など、さまざまな事業を次々とスタートしてきました。

「エニタイムフィットネス塩尻店」の立ち上げ期から参画し、現在も店舗マネージャーとして働く上原彩花(うえはらあやか)さんは、コロナ禍を機に地元である塩尻地域にUターンしてきたひとりだ

会員であれば、24時間365日、好きな時間帯でトレーニングができる施設とあって、地域の潜在的なニーズとマッチし初年度から黒字化した「エニタイムフィットネス塩尻店」は、現在会員数が600名程度、市内での2号店の開店も目前です。

しかし、立ち上げた事業の全てがうまくいくとは限りません。2020年初頭からの新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、好評だったランドリーカフェ事業、ベーカリー事業は休業を余儀なくされました。慢性的な円安、世界的な物価高の高騰、電気自動車(EV)の台頭など、リスクや障壁があるなか、なおも果敢に新規事業に挑む立石さん。どのような考えを持ちながら、経営に取り組んでいるのでしょうか。

“環境対応業”として時代に求められるものを提供し続けてきた

立石さん「先代である父は『うちは環境対応業』だとよく話していました。創業者の祖父は婿養子でありながら、新規事業をどんどん立ち上げていった人で、すごくパワーがあった人だったそうです。終戦直後の車も珍しかった時代に、いち早く石油製品の販売事業に着手したという意味では、先見性があったのかもしれません。」

「株式会社立石コーポレーション」は今は「立石薬局」がある塩尻市の大門商店街の一角に立ち上げられた

日本が高度経済成長期に突入し自動車が移動手段として一般化してくると、燃料として不可欠な石油製品の市場も発達していきます。「株式会社立石コーポレーション」の2代目で立石さんの父、立石修(おさむ)さんは少しでもお客様に喜んでいただけるよう、安価で石油を販売することを追求。「安心・安全・快適」、「ローコスト・ロープライス」、「最上」をモットーに企業努力を続け、プライスリーダーとして、同地域の石油製品の販売市場を牽引してきました。

立石さん「世の中が変容するなか、既存事業だけに閉じこもっていることはリスクです。創業以来、培われてきた『株式会社立石コーポレーション』のブランド価値を軸に、これからの時代に求められるものは何か、日々考え続けています。」

立石家の一人息子として誕生し、小さな頃から経営者として奔走する父の背中をみて育ったという立石さん。事業承継についてはいつ頃から意識していたのでしょうか。

立石さん「幼少期は全く意識していなかったですね。むしろ、小学校時代は周囲からおぼっちゃま扱いをされて、嫌でしかたなかった。ただ、昔から困っている人を助けたいという気持ちはあったようで、医者や科学者になりたいと話していたそうです。中学に進学してからは資本主義社会ではお金があったほうが助けられる人が増えると考え始め、会社経営者という立場にも次第に惹かれていったような気がします。」

遠足に出かける際、別れ際で泣く子が多いなか「僕がいなくても泣かないんだよ。」と親の心配をするほど幼少期から自立心が高かったという逸話もある

小学校卒業後は親元を離れ、北海道の中高一貫校に通いながら寮生活を送っていた立石さんですが、突如として舞い込んだ、スイスの高校への転入の話が人生の転機となったといいます。

立石さん「スイスに転勤する母の知人が娘を現地校に転入させるという話で『よかったら立石さんもどうですか』とお声がけいただいたんです。それからはトントン拍子で話が進み、2週間後にはもうスイスの地に降り立っていました。初めての海外だったこともあり、最初のうちは英語を習得するのに必死でしたね。」

しばらくして現地の生活に慣れたころ、立石さんは紛争後のボスニア・ヘルツェゴビナで食糧や物資を配るボランティア活動をする機会を得ます。再建の目処も立たない崩落したビルが並ぶ街中で、これまでの人生経験からは想像もつかないような現実を目の当たりにしたといいます。

海外でのボランティア活動で目にした子どもたちのキラキラした笑顔

立石さん「ボランティア活動の途中でバスケをして遊ぶことになったのですが、腕時計を外してコート脇に置いてたら1時間くらいで盗まれてしまったんです。今思えば自分の不注意だったのですが、貧しさから盗みを働いてしまう人が本当にいるんだという現実を突きつけられたような気がして、かなりの衝撃を受けましたね。」

内戦後(※注1)のボスニア・ヘルツェゴビナの荒廃した街では飢えや貧困が広がっていたという

ボランティア活動を通して目を背けたくなるような現実に直面した一方で、後に立石さんの人生の使命にもつながる今後もずっと守っていきたい光景に出会ったのもこの時でした。

立石さん「現地の子どもたちに飴を配っていたのですが、『飴をあげるだけで、こんなに目をキラキラさせる子どもたちがいるんだ』と。僕たちが励ますつもりが、逆にこちらが励まされたような気がして。その時の子どもたちの笑顔が今も目に焼き付いているんです。」

スイスでの生活を通してたくさんの学びを得た立石さんは、その後、さらに視野を広げる機会に恵まれます。スイスの高校に転入する際にお世話になった留学エージェントからの勧めで帆船で世界を巡るカナダのプログラム『Class Afloat(クラス・アフロート = 海の上の教室)』に参加しました。

立石さん「既にボスニア・ヘルツェゴビナでの経験があったので、二つ返事で話をして、親からも『根性がつくからいいのではないか』と背中を押してもらって。1年ほど航海しながら世界各地の港を回ってさらにたくさんのボランティアを経験しました。」

同世代の乗組員たちとともに1年で世界の約50箇所を巡り、途上国や辺境地域でのボランティアを行った

翌年、立石さんを乗せた帆船はカナダに帰港。立石さんはそのまま現地の高校に進学しました。カナダでも5本の指に入るほどのラグビーの強豪校で、チームメイトたちとラグビーの練習に明け暮れる毎日を送ります。順調に成績を伸ばし、ラグビーの推薦で日本の4年制大学に進学する話も出ていた矢先、怪我で故障してしまいます。

立石さん「怪我でなかなか結果を残せず、大学推薦も見送ることになり、この頃は少し拗ねていた時期でしたね。自分は一体何ができるのかと考えていたところ、途上国に本を送り図書館をつくるプロジェクトがあることを知りました。それによって何千万人かの子どもたちが字を書けるようになったとあり、『じゃあ、自分は1億人を目指そうじゃないか』と(笑)。個人的なビジョンである『1億人の子どもたちを笑顔にする』というのもこの時から少しずつ芽生えていたアイデアなのかもしれません。」

※注1 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦で、ボスニア紛争ともいう

カナダの飲食店営業から実家の事業承継を決意するまで

カナダの大学を卒業後、一時は現地企業や外資系企業への就職を検討していた立石さんでしたが、そんな折、「株式会社立石コーポレーション」が当時カナダで立ち上げていた飲食店事業がうまくいっていないことを知らされます。

立石さん「当初は会計や法律関係の通訳として手伝ってほしいということだったのですが、社員が立て続けに辞めてしまい『どうにも首が回らなさそうだから宗一郎がやってくれないか』という話になって。引き継いだのはいいものの、状況は深刻で、月に200〜300万円くらいの赤字が続いている状態でした。

それから半年くらいで、なんとか損益分岐点までいったのですが、当時の自分は経営を全く知らなくて。自分が鬼のように働けばなんとかなると思って毎日20時間くらい働いていたら、案の定2ヶ月で倒れてしまって……(笑)。でも、数日店を休んでも、お店の方は回るわけです。そこで初めて自分だけでやれる範囲は限界があること、仲間という存在の有り難みに気がつきました。」

居酒屋兼レストラン「SO-YA Japanese Izakaya Dining」の外観。100人規模のレストランの立て直しをした経験は今の会社経営を考える上で大きな糧になっているという

以来、立石さんは意識的に従業員に仕事をお願いしたり、自身も休みが取れるよう労働環境を整えていきます。しかし、徐々にお店が軌道に乗り始めていた矢先、今度はお父様がガンを患ってしまったという知らせが入ります。

立石さん「今でこそ元気な父ですが、当時はもしかしたら危ないかもしれないと言われていたんです。ようやくカナダのお店の業績が上向きに転じて、これからという時期ではありましたが、父が心配だったこと、これまで支えてくれた親への感謝の気持ちもあり、すぐに事業を畳んで日本に帰国しました。」

幸い、お父様は一命を取りとめ、再び経営ができるくらいまで回復したため、立石さんは将来的な事業継承も見据え、同業である「昭和シェル石油株式会社(※注2)」に入社しました。

会社員時代は、海外生活で習得した英語力を活かして海外通信社やIEAなどの英文記事なども積極的に参照しながら業務成績を伸ばした

立石さん「入社後は供給部需給グループという部署に配属されて、航空機のジェット燃料や軽油の輸出入などを担当していました。石油製品は港から運び込まれますが、その際、船が1日停泊するだけで人件費で100万円くらいかかってしまう場合もあります。そのため、なるべくスムーズな荷下ろしができるように交渉したり、世界の原油価格と需給のバランスをみながらトレードを行って粗利を増やすなどしていました。石油製品市場の世界観について学んだのもこの頃ですね。」

成果をあげながら充実した会社員生活をおくっていた立石さん。そのまま働き続ける話も浮上していたといいますが、入社から3年ほどたったある日、実家から「会社を引き継いでほしい」という連絡が入ります。2018年4月、いよいよ立石さんは本格的な事業承継に向けて「株式会社立石コーポレーション」に入社しました。 

※注2 かつて存在した日本の石油元売企業。2019年4月1日に出光興産の完全子会社となり経営統合された。

組織の大改革とサービス間の連携による付加価値の創出

立石さん「入社当時の組織体制は代表取締役の他、管理職は課長が1名のみ。それまではほぼワンマンな形で乗り切っていた父も、体力の衰えなどもあり、事業や組織の拡大を目指していくなかで無理が生じていたのかもしれません。さらに、僕が入社することが決まってから『環境整備をしなければ』と先代が急いで人事異動するなどしたため、社内にも混乱が広がっていたようです。入社直後に社員から『あと1ヶ月遅かったら社員の半数がやめていたかもしれない』と言われたり、この時期はかなりの危機感がありました。」

写真右が立石さん。入社後、社員全員と面談をしながら、ニーズの聞き取りを行い状況把握に努め、業務の見直しなどを実施していった

経理課長代理として数字をみる予定が、主幹事業であるガソリンスタンドの状況が気になってしまったという立石さん。各店舗を回って売り上げのKPI(重要業績評価指標)などの数字を具体的に詰めたり、業務に必要な資料の雛形の配布や会議のやり方を変えるなど、実務レベルから組織の改革に着手。同時並行でクレジットカード登録や割引キャンペーンなどのイベントも社員と一緒に企画・運営しました。

立石さん「経営も見なければならないので、ずっと現場にいたわけではないのですが、とにかく社員の気持ちを理解しながら、自らも行動して背中を見せられる状況をつくろうと必死でしたね。」

また、事業規模の拡大にも耐えうる組織を組成するため、幹部人材を急ピッチで採用するなど、体制の強化に努めてきました。そこで採用された人材のひとりが、現在管理部部長を務める吉岡知輝(よしおかともき)さんです。中途で入社した吉岡さんは、「株式会社立石コーポレーション」を組織としてどう眺めているのでしょうか。

吉岡さんは、自らも過去に経営者の立場になったことがあるという異色のキャリアの持ち主だ

吉岡さん「営業力をあげて収益を増やしていかなければ、会社として存続できないなか、この会社ではフェアプレーができるというのが良さだと思っています。当然のことかもしれませんが、相手に対してちゃんと価値あるものを提供して対価を得ること。その上で、地域貢献や社会のためになるような事業ができるのがすごく大事だと思っていて、『株式会社立石コーポレーション』ならそれが達成できるのではないかと感じています。

例えば、天然酵母など素材にこだわった安心安全なものを提供していきたいと立ち上げた(ベーカリー事業の)『ぴーす』はまさにその好例だったと思います。さまざまな理由から休業という形にはなるものの、こうした事業にトライできることが、今私がここにいる理由にもつながっています。」

これまで実装してきた事業の中で需要が見えているものは積極的に増やしていくという立石さん。さらに、今後は多面的に展開してきた事業同士をつなげていくことも予定しています。

整備工場「ユメックスオート」で車検を実施すると給油料金が割引になるキャンペーンは既に実施中。車検数は県内でもTOP10に入るという

立石さん「例えば、車検をするとジムの年会費が割引になったりなど、それぞれのサービスをつなげることによる付加価値を生み出していきたいです。またDXの一環でアプリを開発し、会員情報が集約できれば、お得なキャンペーン情報の共有など、利用してくださる方々のメリットを増やすなど顧客体験の向上をはかれるかもしれません。」

“笑顔を供給する企業”としてあるべき成長の姿を考え、共に走っていく仲間

毎日の生活に求められるサービスを提供し続けることで、日常生活の中に笑顔になるタイミングを増やしたいと考える立石さんは、近年「株式会社立石コーポレーション」を“笑顔を供給する企業”として捉え直しているといいます。向こう10〜15年ほどはガソリンスタンド事業も堅牢と言われている一方で、ガソリン市場が縮小したとしても、会社として提供していくことのできる揺らがない価値や成長の在り方を模索しています。

立石さん「創業から続く求められるものを提供し続けるという姿勢を保ちつつ、今後は地域貢献ができるような企業としても成長していきたいと思っています。毎日の生活の中でそのサービスがあると嬉しいとか、少しでも笑顔につながるような事業を提供し続けた結果、それが『株式会社立石コーポレーション』のブランド価値につながっていったらと考えています。」

現在車の販売事業を準備中の立石さんは将来的な展開も見越して、電気自動車(EV)の販売なども検討中。これからの時代に求められるような事業づくりに積極的に挑んでいる

脱炭素化が進む中、これから30年以内にガソリン業界は大きく変化していきます。それよりも速いスピードで自分たちが変化し、地域の人々に笑顔をもたらす企業になっていくために。現在「株式会社立石コーポレーション」は一緒に考え、走っていく仲間を募集しています。求めるのは、将来の幹部候補。自身も幹部人材として働く吉岡さんに、求める人物像について伺いました。

吉岡さん「来てほしいのは、社員の気持ちを理解しながらも『株式会社立石コーポレーション』として進みたい方向に成長していくためにはどうしたらいいか、率先して考えられる人。他の幹部とも連携しつつ、経営理念を本質的に理解し、体現するにはどうしたらいいか考えて一緒に走っていくことができる人だと思っています。」

エネルギー事業、管理部門、経営企画・店舗開発などのさまざまな部署がある中、まずは立石さんや吉岡さんなどの幹部人材と面談をした上で配属先や、今後のキャリアステップを検討していく

毎日の生活の中に笑顔をもたらすような事業展開を通じて、笑顔が循環することで地域や社会が元気になっていく未来。その先には、立石さんが学生時代に打ち立てた『1億人の子どもたちを笑顔にする』というビジョンの達成という目標もあります。

立石さん「僕のビジョンは、自分の世代だけで達成できるとは思っていません。途上国の教育水準の向上や、雇用の創出など、社会課題解決に寄与する活動もやっていきたいと考えていますが、まずはそういった取り組みを持続的にできるような盤石な企業を育むことが、今の自分の使命だと考えています。」

2021年、「株式会社立石コーポレーション」がネーミングライツを獲得した塩尻市内の新体育館の「YOUMEX(ユメックス)アリーナ」。「YOUMEX」にはYOU(お客様・地域)とME(会社・従業員)で可能性が無限大になるという意味が込められている

日々の生活の中での笑顔が、地域の笑顔につながり、最終的には世界の笑顔に広がっていく未来。そのためにはやっていかなければならないことがたくさんあります。ただ、どんなに目標地点から距離が離れていても、信念を持って進んでいけば、必ずそこにたどり着けるということを、立石さんは体験の中から学んできました。

立石さん「船で航海していた時にキャプテンが『地球が丸い限り、あなたが一歩踏み出せば、その一歩は確実に家に近づいている』と言っていたのが印象に残っていて。それがたとえ遠回りだとしても、諦めずに走り続ければ、結果として自分の目的に近づくことはできる。どうせ走るのであれば、一緒に走る仲間が多い方がいいなと感じています。」

「ひとりひとりに『笑顔』を供給することで人々の活力を創り出す」

立石さんが3代目代表取締役社長に就任して間も無く掲げた経営理念には、日々の生活に笑顔を供給し続ける「株式会社立石コーポレーション」の姿勢と、立石さんご自身が学生時代に目にした子どもたちのキラキラした笑顔を世界中に広げていきたいという想いが込められています。“地域のガソリンスタンド企業”から“笑顔を供給する企業”へ。地域や世界に貢献する事業づくりに加わって、一緒に笑顔溢れる未来をつくりませんか。

文 岩井 美咲

※ 撮影のため、取材時はマスクを外していただきました。

募集要項

[ 会社名/屋号 ]

株式会社立石コーポレーション

[ 募集職種 ]

将来の経営幹部候補

[ 取り組んでほしい業務 ]

入社ポジションは将来の幹部候補として、エネルギー事業、管理部門、経営企画・店舗開発、新規事業など各部署の中から、最初の配属やゆくゆくのキャリアステップを個別のキャリアプランと照らし合わせてご相談していきます。将来的の現社長と肩を並べて活躍いただける若手幹部として活躍いただきたいと考えています。

[ 雇用形態 ]

正社員

[ 給与 ]

年収310万円~450万円(初年度)
※月30h分の時間外手当含む(30h未満でも支給、超えた場合は追加支給)
※月平均残業時間23.37時間(2021年度実績)

<平均年収(2021年度実績/勤続年数1年以上/決算賞与あり>
課長(SV・エリアマネージャー):540万円
係長(店長):450万円 
主任:390万円

<平均昇給率>
2021年4月:1.15%
2021年10月:1.13%
2022年4月:2.83%
2022年10月:2.31%
=2年で8.17%の昇給(例:基本給25万円→27万円・基本給30万円→32.4万円)

[ 勤務地 ]

長野県塩尻市・松本市・箕輪町・伊那市・駒ヶ根市・諏訪市の本社or各店舗

[ 勤務時間 ]

1年単位の変形労働時間制(週平均40時間以内)
※残業は月平均23.37時間です。
<勤務時間例>
09:00~18:00
11:00~20:00

[ 休日休暇 ]

実質年休111日 =年間休日105日 + 計画有給5日 + 誕生日休暇1日
◆月8~9日(シフト)
◆年次有給休暇(入社3ヶ月目から付与)※平均有給取得率 70.1%
◆慶弔休暇
◆誕生日休暇
◆結婚記念日休暇

[ 昇給・賞与・待遇・福利厚生 ]

◆給与改定/年2回(4月、10月)賞与/年2回(7月、12月)
◆厚生年金基金
◆通勤手当(上限なし)
◆扶養手当
◆有給休暇
◆副業制度(許可制度)
◆退職金制度(勤続3年以上)
◆報奨金制度(実績に応じて)
◆福利厚生施設(全国のエクシブ施設利用可)
◆無料駐車場完備
◆マイカー通勤OK
◆各種イベント多数
◆定年60歳、65歳まで再雇用あり
◆試用期間3ヶ月
◆資格取得支援制度
◆無料駐車場完備
◆カー用品、ガソリンなどの社員割引あり(30~40%OFF)
◆当社運営フィットネスジム(ANYTIME FITNESS)優待利用(約35%OFF)

[ 応募要件・求める人材像 ]

応募資格不問
チャレンジ精神と将来的に会社の幹部候補として活躍したい気概のある方を歓迎いたします

[ 選考プロセス ]

書類選考

面接2回(リモート、現地)

内定

※選考期間は約2週間程度を想定しています
※取得した個人情報は採用目的以外には使用しません。
※不採用理由についての問い合わせにはお答えできかねます。

※取得した個人情報は採用目的以外には使用しません。
※不採用理由についての問い合わせにはお答えできかねます。

[ その他 ]
よろしければこちらもご覧ください。

株式会社立石コーポレーションHP
社長インタビュー記事(MGプレス)